森瑤子さんの思い出、再び〜   

2017年 05月 10日

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ほぇええええええーーーっ。

今日は疾風怒濤の日だった・・

しかし、素敵な方と素敵なイベントのお話なんかもあり、

また新しいプロジェクトもスタートして、

いろんなことが動き出した日でもありました。

いや、人生、それなりに、大変なこともありますが、

楽しいこと。

ごきげんなことも多いよね。

それにしても。

つくづく、

わたしの人生は、

「たくさんのひっかかりのある人生」だなぁと思う。

これは、

大好きだった作家の森瑤子さんが、

自身の本にサインしてくださった言葉。

これは、その言葉にまつわる、エッセイ。

何度か同じ内容で書いたけど、


素敵な方が森瑤子さんについての記事について、

コメントくださったので、

またアップしちゃいます。




よかったら、読んでね。


※写真は本文とは関係ないんだけど、

昨年旅したイングランドの大好きなマナハウス、

Clivedenのエントランス。

ライトアップした夕暮れが素敵でした〜




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【たくさんのひっかかりのある人生】

森瑤子さんの突然の死を取材先のボストンで知った。

その知らせを知った午後、

クインシーマーケットを呆然と歩き続けた。

あの日の真っ青な空と、

マーケットの広場に浮かんでいた風船の鮮やかな色をいまもときどき思い出す。

森さんにはじめて会ったのは、

「情事」ですばる文学賞を受賞された、数年のちだった。

「誘惑」「嫉妬」・・と彼女の小説世界にのめりこんでいた私は、

当時、某雑誌の編集を手がけていて、

まるで初恋の人にはじめて会いに行く少女のような気持ちで、

京都に旅行中だった彼女を、

インタビューのためにたずねたのだった。

そこでお聞きした森さんのお話は、

想像をはるかに越えて、わたしの心を鷲掴みした。

なぜ小説を書きはじめられたのですか?

という問いにはこんな風に答えてくれた。

3335歳は女として最も完成する時期なのに、

誰も自分のことを認めてくれない。

どうしたら、その奈落の底から這い上がれるか。

どうしたら、みんながふり向いてくれるか。

どうしたら、夫がもう一度自分を尊敬してくれるだろうかと、

森さんはもがき続けたと言う。

そうした十分すぎる飢餓をかいくぐった直後に、

はじめて書いた小説が、

『情事』だった。

「小説の中に自分の飢えを塗りこめることによって、

現実のわたしは救われたのだと思います」

そんな話を聞かせてくれた。

その後も個人的に食事やお酒を飲む機会に恵まれた。

憧れていた飯倉の「キャンティ」にはじめて連れて行ってくださったのも、

森さんだった。

「デザートにはね、洋ナシのタルト、カルバドス、

そしてエスプレッソの組み合わせが最高よ」

そんなことも教わった。

冬の京都や、サンモリッツのスキー場、

軽井沢の別荘から、

何通も便りをいただいた。

いちばん最初にいただいた手紙には、

こんなことが書かれてあった。

「あなたには、ご自分では気がつかない

情熱のようなものがあって、

それが周囲を巻き込んでいます。

その情熱を大切に」

森瑤子と印刷された、原稿用紙にモンブランのブルーのインクで書かれた、その手紙をいまも大切に持っている。

その後出版された、

夫や母親、そして子供たちとの壮絶な葛藤を描いた、

彼女の私小説とも言える著書『夜ごとの揺り篭、あるいは戦場」には

こんなサインをくださった。

『松澤壱子さんへ〜

たくさんの、ひっかかりのある人生・・・・・森瑤子』

この言葉は、

森さん流の私の人生へのエールだと思った。

東京に行って連絡をすると、

「ランチをしましょ。原稿の締め切りでうんうん唸ってるけど、

たまには息抜き!」

と言って、

しょっちゅう出てきてくださった。

レストランに颯爽と現れた森さんは、

いままで原稿を書いていたとは思えないほどお洒落な装いで、

その場がぱっと華やいだ。

それでも、

ランチをしながら、

お喋りしながら、

ふと彼女の手元を見ると、

ワイングラスを持つ右手中指にブルーの染みを見つけた。

あの、モンブランの、ブルーの色。

彼女と過ごした時間は、

とてつもなく贅沢で楽しかった。

ときが経つごとに、森さんとの思い出は

鮮やかになっていく。


by madamregina | 2017-05-10 01:46 | 真夜中の長文 | Comments(0)