森瑤子さんのこと   

2012年 02月 16日
先日、ある濃い生き方をしている女友達と、我が家で鴨鍋をつつきながら、

ガールズトーク(って言ってもいいかしらん?この年で)を炸裂させておりました。

まあ、だいたいが、


このアイケアで目尻のシワが2本減ったよ、とか、

やっぱり私ら、ザクロもんを摂取せなあかんよね、

とか、最後はお決まりの健康話・・・。

もはや、「安心」の世界。

これじゃあ、ババーズトークじゃないかっ(ひえええーっ)

昔は、彼女と話すことといえば、

かなわぬ、せつない恋の話しや、ダメンズに吸い寄せられるのはなんでかとか、

男は、やっぱりイケメンはあかんなぁとか、

そんな話ばかりでしたが・・・・

最近、この手のトピックは、皆無。

ってどう?かなしーーーーーーー。

女子力、著しく低下っ。がーんがーんがーん。


でも、私達がこれまで、ファッションで最も影響を受けた人とか、

この人の恋愛観には激しく心動かされたよね〜、

この人の女の一生は参考になるっすよね〜というような話も出て、

盛り上がりました。

わたしのファッションのお手本といえば、断然、ジャッキーです。

グレース・ケリーがどれだけ素敵と言われても、

ヘップバーンがほんとにかっこいいと言われても、

私の中では、ジャッキー一筋。

ファッションもそうですが、その生き方のビッチ加減もハンパない(好きだわー)

いやあ、彼女ほどアメリカで愛されているビッチはいないよね。

わたしがアメリカ東海岸に足繁く通いつめることになった、

いちばんの理由が実は、ケネディーなんですが

ボストンをはじめとする、ニューイングランド地方には、

ジャッキーとケネディーが愛した海辺の町やサマーハウスがあって、

それがとても素敵だった。

特に好きだったのは、ロードアイランド州にあるハマースミスファームという

別荘。

ジャッキーの叔父さまが所有していたのどかな海辺のサマーハウスなのですが、

ここでケネディーと結婚式をあげたのよね〜。

いや、今日はこの話ではなく(ええ、余談っ?)このことについてはまた、詳しく書くであります。




「奥様は魔女」のサマンサのファッションも大好きです。

そういえば、私が愛してやまない、レジィーナ ロマンティコの

お洋服には、

ジャッキーが好んで着たスーツスタイルや、

1960年代の女優が着ていたクラシックスーツ、

バービーやサマンサのファッションテイストがその根底にあって、


だからわたしをこんなに引き付けるのだな・・と思います。

そういえば、

映画「愛と哀しみの果て」のメリル‥ストリープのスタイルも、

めっちゃ好きでした。わたしの大好物のラルフ・ローレンでしたっけ。

ま、ファッションやどすこい女の一生に関して、CHANELもそうなんだけど、

この話はまたこんど(えーーーーーーーーーーーっ?!)



で、二人の間で、意見が完璧に一致したのは、

やっぱり森瑤子は、私達の恋の永遠のバイブルよね〜っっ!!!〜


ってことでした。

森瑤子さんの話を書くと、いまも、本当にたくさんの方たちから反響があります。

彼女の書く小説やエッセイ、そして生き方が、

どれほど私達女子の人生に、影響を与えてきたことか。

それをいま、改めて感じるのであります。


私は森瑤子さんに取材したのがきっかけで、

プライベートでも、とても可愛がっていただきました。



そのあたりのことは、こちらに書いています。



亡くなったときは、本当にショックだった・・・

森さんは生前いつも「いちばん悲しいのは忘れられた女。わたしのこと、忘れないでね」

とおっしゃっていたし、エッセイにも何度も書かれていました。

でも、森さん、あなたのことはぜったい忘れない。

いえ、忘れられないです。

彼女について、書きたいことはそれこそ、ナイアガラの滝ぐらい

ありましたが、亡くなった方のことをあれこれと書くのは・・・・と

なんとなく気が進まなかったの。

でも、もういまなら、書いてもいいかな?と思います。

彼女は京都が好きで、週末新幹線でふらりとやってきて、

「一杯つきあって」と連絡があったりして、

わたしも大阪から新幹線で、

急いで、京都まで駆けつけたことも、なつかしい思い出。

この話はわたしのエッセイでも何度か書いてるけど、

「好きな男とのお食事では、3回目に何もなかったら、

あとはただのお友達になっちゃうわよ、壱子さん」

ってあの黒目がちの魅惑的な瞳でじっと見つめながら、

言われて、あわわわわーっとなったこともいい思い出。




彼女のハイブランドとのつきあい方も大好きでした。

南の島で真っ黒に日焼けした森さんがその日着ておられたのは、

肩の開いた、真っ白のワンピース。

そこに涙の粒のようなダイヤモンドのペンダントがひとつ。

腕にはゴールドのロレックス。


なんて、カッケーーんだっ!とわたしは痺れたね。

そのときから、わたしもぜったい金無垢のロレックスを買う!と

心に決めた。

2年後に買えたときは、ほんとにうれしかった。


ヴィトンのバッグを持つときは、「最初から古い感じで持ちたいじゃない?」

とリサイクルショップで買うような人でした。


ああ、森さんのエピソードを語りだすと、キリがないので、このへんで。

というより、いままで書きたくて書けなかったこと、

これからおいおい書こうと思います。

そうそう。森さんと一緒に撮った写真、こんなのが出てきました。

ポラロイドだし、ボケボケですけどね。

週間文春に「男と女の話」でエッセイを書かれていたときで、

六本木の某レストランで、パーティに呼んでもらったときのもの。

いやあ、わしの顔、なんてすっとこどっこにのーてんきなんでしょう。


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あ、森さん、ロレックスしてます。


同じパーティの写真ですが、ほんとこの頃、何の悩みもなかったのね・・・って

ぼやけた顔です。

って、いったいいつ頃ーーーーっ。たぶん、白亜紀ぐらいの頃かしらん?

メイクもドン引きな古さじゃないっすかー(ひえーーーーっ)

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というわけで、森さんについて以前書いたエッセイですが、

もう一度こちらにアップいたします。

すでに100回読んだわよ、という方、ごめんやすー。









たくさんのひっかかりのある人生





15年前の夏。

森瑤子さんの突然の死を取材先のボストンで知った。

その日、真っ青な空の下を呆然と歩き続けた、
クインシー・マーケットの風船の色をいまもときどき、思い出す。

森さんにはじめて会ったのは、
「情事」ですばる文学賞を受賞された、数年ののちだった。

「誘惑」「嫉妬」・・と彼女の小説世界にのめりこんでいた私は、
当時某雑誌の編集を手がけていて、

まるで初恋の人にはじめて会いに行く少女のような気持ちで、
京都に旅行中だった彼女を、
インタビューのためにたずねたのだった。



33~35歳は女として最も完成する時期なのに、
誰も自分のことを認めてくれない。

どうしたら、その奈落の底から這い上がれるか、
どうしたら、みんながふり向いてくれるか、
どうしたら、夫がもう一度自分を尊敬してくれるだろうかと、
森さんはもがき続けたと言う。

そうした十分すぎる飢餓をかいくぐった直後に、
はじめて書いた小説が、
『情事』だった。

「小説の中に自分の飢えを塗りこめることによって、
現実のわたしは救われたのだと思います」

そんな話を聞かせてくれた。
その後も個人的に食事やお酒を飲む機会に恵まれた。

憧れていた飯倉の「キャンティ」にはじめて連れて行ってくださったのも、
森さんだった。

「デザートにはね、洋ナシのタルト、カルバドス、
そしてエスプレッソの組み合わせが最高よ」

そんなことも教わった。

冬の京都や、サンモリッツのスキー場や、軽井沢の別荘から、
何通も便りをいただいた。

いちばん最初にいただいた手紙には、
こんなことが書かれてあった。

「ご自分では気がつかない
情熱のようなものがあって、
それが周囲を巻き込んでいます。
その情熱を大切に」


夫や母親、そして子供たちとの壮絶な葛藤を描いた、
彼女の私小説とも言える著書『夜ごとの揺り篭、あるいは戦場」には
こんなサインをくださった。

『たくさんの、ひっかかりのある人生・・・・・森瑤子』

森さん流の、私へのエールだと思った。

東京に行くと
「ランチをしましょ」
と言って、いつも出てきてくださった。

いままで原稿を書いていたとは思えないほどお洒落な装いで、
颯爽と現れた森さんは、
本当に美しく輝いていた。

ふとワイングラスを持つ右手中指に見つけたインクの染み。

そのときの、モンブランの、ブルーと、
彼女にもらった言葉たちは、
いまも私の中で鮮やかに、生き続けている。

by madamregina | 2012-02-16 01:39 | Diary