飯倉のキャンティで・・・   

2014年 04月 20日

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これは少し前に書いたブログの文章なんですが、

昨日、ある女性誌を見てたら、

飯倉のキャンティのマダム、川添梶子さんについて

書かれたエッセイがあり、

思わず、若いころ、キャンティに通い詰めていた、
森瑤子さんのこと、思い出しました。

キャンティは1960年にオープンした、伝説のレストラン。
みんな、一度は聞いたことあるよね。

キャンティを一発であらわすのは、
かまやつひろしさんの、
この言葉。

『ふと見ると隣の席では、
フランク・シナトラやマーロン・ブランドなんかが食事してる。
僕ら若憎は震えながら挨拶し、いろんなことを教わった。
それはあたかも、真夜中の学校のようだった』

これはキャンティの30周年を記念して、書かれた
「キャンティ物語」(野地秩嘉著)
の推薦文から。

伊丹十三も、三島由紀夫も、加賀まりこも、
安井かずみも、ユーミンも荒井由実時代、
最年少で、ここに通った一人。

映画監督、作家、音楽家、デザイナーなど各界の文化人が交流した、
Parisのモンマルトルの「クーポール」みたいな、カフェだったのかなぁ。
と想像していた。

そんな憧れのキャンティに、

私を、はじめて連れて行ってくださったのも、
森さんでした。

「デザートにはね、洋ナシのタルト、カルバドス、
そしてエスプレッソの組み合わせが最高よ」

そんなことも教わった。

いまでは書店で森さんの本を見つけることも、
難しくなったけど、

ときどき読み返すと、
ああ、やっぱり、男と女の危ういお話を書かせたら、
森さんは天下一品!と思う。

そんなわけで、

もう、100万回読んだわ、
という人は、もう一度、UPするですよーーーー。

むふっ。

〜〜〜【森瑤子は、私たちの恋の永遠のバイブル】〜〜

先日、ある濃い生き方をしている女友達と、我が家で鴨鍋をつつきながら、

ガールズトーク(って言ってもいいかしらん?この年で)を炸裂させておりました。

まあ、だいたいが、

このアイケアで目尻のシワが2本減ったよ、とか、

やっぱり私ら、ザクロもんを摂取せなあかんよね、

とか、最後はお決まりの健康話・・・。

もはや、健康雑誌「安心」の世界じゃないかっ。・

これじゃあ、ババーズトークじゃないかっ(ひえええーっ)

昔は、彼女と話すことといえば、

かなわぬ、せつない恋の話しや、ダメンズに吸い寄せられるのはなんでかとか、

男は、やっぱりイケメンはあかんなぁとか、

そんな話ばかりでしたが・・・・

最近、この手のトピックは、皆無。

ってどう?かなしーーーーーーー。

女子力、著しく低下っ。がーんがーんがーん。

でも、私達がこれまで、ファッションで最も影響を受けた人とか、

この人の恋愛観には激しく心動かされたよね〜、

この人の女の一生は参考になるっすよね〜というような話も出て、

盛り上がりました。

わたしのファッションのお手本といえば、断然、ジャッキーです。

グレース・ケリーがどれだけ素敵と言われても、

ヘップバーンがほんとにかっこいいと言われても、

私の中では、ジャッキー一筋。

ファッションもそうですが、その生き方のビッチ加減もハンパない(好きだわー)

いやあ、彼女ほどアメリカで愛されているビッチはいないよね。

わたしがアメリカ東海岸に足繁く通いつめることになった、

いちばんの理由が実は、ケネディーなんですが

ボストンをはじめとする、ニューイングランド地方には、

ジャッキーとケネディーが愛した海辺の町やサマーハウスがあって、

それがとても素敵だった。

特に好きだったのは、ロードアイランド州にあるハマースミスファームという

別荘。

ジャッキーの叔父さまが所有していたのどかな海辺のサマーハウスなのですが、

ここでケネディーと結婚式をあげたのよね〜。

いや、今日はこの話ではなく(ええ、余談っ?)このことについてはまた、詳しく書くであります。

「奥様は魔女」のサマンサのファッションも大好きです。

そういえば、私が愛してやまない、レジィーナ ロマンティコの

お洋服には、

ジャッキーが好んで着たスーツスタイルや、

1960年代の女優が着ていたクラシックスーツ、

バービーやサマンサのファッションテイストがその根底にあって、

だからわたしをこんなに引き付けるのだな・・と思います。

そういえば、

映画「愛と哀しみの果て」のメリル‥ストリープのスタイルも、

めっちゃ好きでした。わたしの大好物のラルフ・ローレンでしたっけ。

ま、ファッションや、どすこい女の一生に関して、
CHANELも相当なもんですが、

彼女については、またこんど(えーーーーーーーーーーーっ?!)

で、二人の間で、意見が完璧に一致したのは、

やっぱり森瑤子は、私達の恋の永遠のバイブルよね〜っっ!!!〜

ってこと。

森瑤子さんの話を書くと、いまも、本当にたくさんの方たちから反響があります。

彼女の書く小説やエッセイ、そして生き方が、

どれほど私達女子の人生に、影響を与えてきたことか。

それをいま、改めて感じるのであります。

私は森瑤子さんに取材したのがきっかけで、

プライベートでも、とても可愛がっていただきました。

そのあたりのことは、こちらに書いています。

亡くなったときは、本当にショックだった・・・

森さんは生前いつも「いちばん悲しいのは忘れられた女。わたしのこと、忘れないでね」

とおっしゃっていたし、エッセイにも何度も書かれていました。

でも、森さん、あなたのことはぜったい忘れない。

いえ、忘れられないです。

彼女について、書きたいことはそれこそ、ナイアガラの滝ぐらい

ありましたが、亡くなった方のことをあれこれと書くのは・・・・と

なんとなく気が進まなかったの。

でも、もういまなら、書いてもいいかな?と思います。

彼女は京都が好きで、週末新幹線でふらりとやってきて、

「一杯つきあって」と連絡があったりして、

わたしも大阪から新幹線で、

急いで、京都まで駆けつけたことも、なつかしい思い出。

この話はわたしのエッセイでも何度か書いてるけど、

「好きな男とのお食事では、3回目に何もなかったら、

あとはただのお友達になっちゃうわよ、壱子さん」

ってあの黒目がちの魅惑的な瞳でじっと見つめながら、

言われて、あわわわわーっとなったこともいい思い出。

彼女のハイブランドとのつきあい方も大好きでした。

南の島で真っ黒に日焼けした森さんがその日着ておられたのは、

肩の開いた、真っ白のワンピース。

そこに涙の粒のようなダイヤモンドのペンダントがひとつ。

腕にはゴールドのロレックス。

なんて、カッケーーんだっ!とわたしは痺れたね。

そのときから、わたしもぜったい金無垢のロレックスを買う!と

心に決めた。

2年後に買えたときは、ほんとにうれしかった。

ヴィトンのバッグを持つときは、「最初から古い感じで持ちたいじゃない?」

とリサイクルショップで買うような人でした。

ああ、森さんのエピソードを語りだすと、キリがないので、このへんで。

というより、いままで書きたくて書けなかったこと、

これからおいおい書こうと思います。

そうそう。森さんと一緒に撮った写真、こんなのが出てきました。




ポラロイドだし、ボケボケですけどね。

週刊文春に「男と女の話」でエッセイを書かれていたときで、

その連載の出版記念で、

六本木の某レストランで、パーティに呼んでもらったときのもの。

なぜなら、森さんのこのエッセイに、

ちらっとわたしの大昔の風林火山体験などを

を提供したからです(笑)

いやあ、わしの顔、なんてすっとこどっこにのーてんきなんでしょう。

あ、森さん、ロレックスしてます。

もう一枚も、同じパーティの写真ですが、

ほんとこの頃、何の悩みもなかったのね・・・って

ぼやけた顔です。

って、いったいいつ頃ーーーーっ。

たぶん、白亜紀の頃かしらん?

メイクもドン引きな古さじゃないっすかー(ひえーーーーっ)

でも、私にとっては、

森さんとの思い出を語る、とっても大切な写真です。


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by madamregina | 2014-04-20 11:44 | 男と女の話