【163 Duan St.NYC】   

2014年 11月 12日

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真夜中の長文シリーズ(笑)



今日は、ひと財産使った話しです〜。



FBの食通のお友達が、NYに行かれ、

その中の投稿で見つけた、Bouleyの文字。


しかも人生最高のレストランと書かれていて、

きゃーん。


なつかしさとうれしさで、目眩しましたー。



わたくし、自慢じゃないですが(っていつも自慢ばっかりやけど)


このBouleyにはたぶん30回以上は行っております。



いや、Bouleyについては、


「NYの我がレストラン狂時代」などでもういやというほど、

あちこちで書きなぐっておりますが、


また書くよーーーっ(笑)

Bouleyといえば思い出すのは、

ZAGATでぶっちぎりの 快進撃を飛ばしていた90年代だ。



1990年代前半、NYタイムズ紙最高評価4ツ星を獲得。


さらに、ザガットで最高評価を何年も何年も、維持し続け、

NYのベストレストランに輝いた「Bouley」。

96年に惜しまれつつ閉店し、

新たな場所に「ブーレー・ベーカリー」を再オープン。

でも、もう私にとっては、

このブーレーベーカリーは、


かつてのBouleyの輝きを見いだせなかった。

一世を風靡していた頃のブーレーは、


予約を取るのはローマ法王に会うより困難とされていて(笑)


私は、Bouleyのプラチナシートをゲットすることが、


マジで、人生の全ての目的!とさえ思っていた時期があったほど、


死ぬほど魅惑的な店だった。

(なんちゅーアホでしょね。あの頃は胃も元気でした)

たとえばですね、

Bouleyで食事するっていうのは、ほんと、道場破り・・そんな気分。


ディナーにかかる時間はほぼ4時間。

もう、ここまでして食べなあかんのか?

飲まなあかんのか?

眠たいし・・・・というまさに修行。


だから帰るのはほとんど、真夜中。


でも、そんな真夜中から、

メトのオペラ帰りのブラックタイとソワレの美しいカップルがやってくる・・そんなレストランでした。

日本から予約の電話をするとね、いつもビジー状態。

繋がっても「ホールドオン」といわれて、国際電話だけど、
切れません。

こんどいつ繋がるかわかんないから。

このラインだけが生命線って感じで受話器を握り締めてたあの頃、

なんてお気楽で幸せな日々だったんでしょ。

そうしてようやく取れた、予約の日にどきどきしながら、


NY行きのエアチケットを取りましたっけ。



ま、この頃は同時にミュージカルの沼にもハマっており、


Bouleyのほかにもレストラン&Browdwayに浸かりっきりでした。

あの頃は、

ミュージカルも、マチソワ平気だったし、


Frenchで、ランチもディナー毎日オッケーみたいな、

自分でもビビるほど、元気でしたわ。


いや、Bouleyに話しを戻して。



Bouley絶世期には、取材もしたし、

オーナーシェフDavid Bouleyにもインタビューしました。


DavidはNYタイムズが「彼は神だ」と讃えた、NY、No.1のシェフです。

最高にジェントルで素敵な人でした。

日本からしょっちゅうやってくるわたしたちに、

何かと優しくしてくれ、

予約の電話はいつもビジー状態なんです・・と泣きつくと、


「これからは直接キッチンにかけておいで」

と直通の電話を教えてくれました。

いやしかし、いっそがしい時間に「デビッド、予約を取って」と、

言われるのは さぞかし迷惑なことだったことだろう。

でもデビッドはいつも和やかで、あったかで、


だからデビッドの料理には 、

彼の人柄がそのまま出ていて、食べる人すべてをシアワセにしたんだと思う。

あの、9.11事件のとき、レストランを休業して、

警備員や消防隊員などに、差し入れの料理を出し続けたという人。





ある年のクリスマスシーズン。

やっと予約が取れた、その日はあいにくの大雪で、

道路には50センチ以上の雪が積もっていて、

マンハッタンの交通網はほぼ麻痺しそうなほどの悪天候だった。

レストランの前までなんとか車をつけてもらっても、


長靴を履かなければ、ドアにたどりつけないぐらいの雪。




さすが、こんな日だから、

ブーレーもキャンセル続出だろうなーと思って

古びた木のドアを開けて入ると・・・・

すっごい喧騒。

店内は熱気で溢れていた。

ふだんはクールなメートルのドミニコが、

超French訛りの英語で、

「一組のキャンセルもなかったよ」と、
自慢そうに、めちゃうれしそうな顔をしてたのも忘れられない。

私も、バーニーズで買ったドレスで目一杯お洒落しておりました。

足元は長靴だったけど・・・。



ここではいつも
男も女も着飾って映画のようなシーンを繰り広げていました。


あの頃のブーレーはほんとに夢のように美しかったのです。

ティファニーのブルーの箱やKissや涙や、

ケンカや愛が、

あちこちのテーブルで飛びかっていて、

食事の途中で言い合いをして、

泣きながら席を立って帰ってしまう女の人がいたり。

ニューヨークの恋人たちはここでドラマを作っていた・・

そんなレストラン。

ここで食事するゲストはもちろんだけど、

サービスするギャルソンたちも、

まるでブロードウエイの舞台の役者さながらにかっこよかった。

そして何より、ゲストに最高のサービスを与える・・という、最強のプロ集団だった(Tipも弾みましたよw)

あれから時はすぎ、NYには新しいレストランも続々出来たけど、

わたしにとって、

あの頃のブーレーのような店はもうない。

それに、冒頭に書いたように、

新しく生まれ変わったブーレーにさえ、あの頃の面影はなかったんです・・・。

それが・・・

最近、訪れた方たちが、「やっぱり最高だったよ!」と口々に言うので、
なんだかうれしくなっちゃった。

私が昔、愛した男は、やっぱりかっこよかったんだって、そんな感じかな?




そういえば、絶頂期には、


NYのCITIBANKの副社長が、ようやくBouleyの予約を取り付けたのに、

いざ行ってみると、なぜか予約が取り消されていたとかで、

それが、NYタイムズのニュースになるほどのレストランだったんです。

その記者は書いていた。

「まったくもって正気の沙汰とは思えない話。

それにしても、NYではいつから、

レストランの予約にアメックスのカードのギャランティが

必要になったのだ。

まるで、

エアライン会社のようじゃないか。

いまやニューヨーカーにとっては、

人気のレストランで予約できることが、

サクセスシンボルだともいいたげだ。

実に嘆かわしいことではないか」

いやあぁ。

この時代。ほんっとにそうだった。

確かに誰もがNYの人気レストランに予約をすることは、
社会問題だった時代w

いまのNY のレストラン事情は知らないけど、

90年代半ば、Peter Lugarも、

Le Bernardinも、

ペトロシアンも、

ユニオンスクエアカフェも、

Aureole、

Blue Ribbon

Blue Ribbon Sushi、

AQUAGRILL、

ゴッサムグリル、

ダニエル、
 
Palm、

Jean Georges、

Lespinasse、

Il Mulin、

Babbo、

いやもう、キリないですが、たぶん200軒ぐらいは行ったはず。

毎日、昼、夜とレストランの扉を開けまくったいたあの頃。

NYのレストラン修行は誰にも負けないよ。

いや、誰も褒めてくれないけど(>_<)

いまではもう、Frenchは2ヶ月に一回でもいいです・・とか、

ねむたいことをほざいているわたしですが、

もう一度NYのレストランを予約することが、

何より大事だったあの時代にもどりたい・・・。

いまでは、お家でご飯・・がいっちばん幸せ〜なんて、
言ったりして、外食はしんどいわ、とか。
わたしも焼きが回ったもんです。

やっぱし、人間、一生に一回ぐらいは、
ひと財産使うほど、レストラン修行しなきゃあかんね。

一生、そんなひともいるかもしんないけど。

あ、ちなみにあの時代、ParisやNYやボストン、LAなど、
あっちこっちの海外で、

ひと財産使ってくれた相方に感謝。

ジャパンではいまから新たに鮨修行しようと思っとります、はい。

Bouleyの世界へ行きたい人は〜、
こちらの扉を開けてみて。

by madamregina | 2014-11-12 02:18 | Gourme