7月6日は、
敬愛する森瑤子さんの命日。
今回も、
ちょうどボストンにいました。
彼女は生前、
いちばん哀しいのは、忘れられた女だと、言ってた。
森さん、私はいまも、ときどきあなたのことを思い出しています。
〜たくさんのひっかかりのある人生〜
森瑤子さんの突然の死を取材先のボストンで知った。
その日、真っ青な空の下を呆然と歩き続けた、
クインシー・マーケットの風船の鮮やかな色をいまもときどき、思い出す。
森さんにはじめて会ったのは、
「情事」ですばる文学賞を受賞された、数年ののちだった。
「誘惑」「嫉妬」・・と彼女の小説世界にのめりこんでいた私は、
当時某雑誌の編集を手がけていて、
まるで初恋の人にはじめて会いに行く少女のような気持ちで、
京都に旅行中だった彼女を、
インタビューのためにたずねたのだった。
33~35歳は女として最も完成する時期なのに、
誰も自分のことを認めてくれない。
どうしたら、その奈落の底から這い上がれるか、
どうしたら、みんながふり向いてくれるか、
どうしたら、夫がもう一度自分を尊敬してくれるだろうかと、
森さんはもがき続けたと言う。
そうした十分すぎる飢餓をかいくぐった直後に、
はじめて書いた小説が、
『情事』だった。
「小説の中に自分の飢えを塗りこめることによって、
現実のわたしは救われたのだと思います」
そんな話を聞かせてくれた。
その後も個人的に食事やお酒を飲む機会に恵まれた。
憧れていた飯倉の「キャンティ」にはじめて連れて行ってくださったのも、
森さんだった。
「デザートにはね、洋ナシのタルト、カルバドス、
そしてエスプレッソの組み合わせが最高よ」
そんなことも教わった。
冬の京都や、サンモリッツのスキー場や、軽井沢の別荘から、
何通も便りをいただいた。
いちばん最初にいただいた手紙には、
こんなことが書かれてあった。
「ご自分では気がつかない
情熱のようなものがあって、
それが周囲を巻き込んでいます。
その情熱を大切に」
夫や母親、そして子供たちとの壮絶な葛藤を描いた、
彼女の私小説とも言える著書『夜ごとの揺り篭、あるいは戦場」には
こんなサインをくださった。
「たくさんの、ひっかかりのある人生・・・・・森瑤子」
森さん流の私の人生へのエールだと思った。
東京に行くと
「ランチをしましょ」
と言って、いつも出てきてくださった。
いままで原稿を書いていたとは思えないほどお洒落な装いで、
颯爽と現れた森さんは、
本当に美しく輝いていた。
ふとワイングラスを持つ右手中指に見つけたインクの染み。
あの、モンブランの、ブルーの色と、
彼女にもらった言葉たちは、
いまも私の中で鮮やかに、生き続けている。
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